お祭り扱いの選挙

最近日本でも参院議院選挙がありましたが、相変わらず投票率は悪い模様。18歳以上を交えての選挙だったのだけれど、若い人の投票率は悪い。
選挙に行かない若者の大半は「誰に投票していいかわからないから、それぐらいなら選挙に行かないほうが良いんじゃないか」と言う始末。
ぶっちゃけると、今の状況でその選択肢は愚かであり、とにかくどこにでも良いから票を入れなければならない状況だと自分は思う。
というのも、投票率が低いということは、票田としては魅力的ではないということ。つまり、候補者が若者に媚びにくいという弱点がある。
そもそも、代議制の日本で候補者は各々の民意を反映させてマニュフェストを掲げるわけで。そうなると、票が得られない年代層向けには公約をしない。まあ、一部には若者層のニッチを狙う人もいるかもしれないけど。
民主主義社会で票をいれないことは愚かであり、国民としての権利を捨てているわけだ。それは、政治というものの有り難みと、怖さを知らないからである。
古代ギリシャ等の原始民主主義では票を得るために戦争に参加しなきゃいけないとか、非常に尊いものだったのだ。
そういう、大切さがまったくない。

さて、こんな一般論をドヤ顔で言ってもしかたがないので本題に行こうと思う。

タイトルに有る通り、お祭りとしての民主主義というものを実施してる国があるのだ。
それは、アメリカという国。


アメリカでは現在大統領選が行われているが、明らかに日本とは熱気が違う。たくさんの人が絡み、応援する人間がコンサートのようにはしゃぐ。
その姿を見るだけで、アメリカの大統領選がいかにきらびやかなものか分かるだろう。
なぜなら、彼らにとって民主主義は一種のお祭りのようなもので、そして誇りがあるからだ。
州ごとに選挙区が分かれていて、州ごとに点数が決まっている。その州で1番になれば、その点数を独占して得られるという票田で成り立っているのが大統領選。
おのおのの土地で強い弱いがあって、しかも人種も民族も多種多様といったしまつ。そんな彼らが民主主義を実践できるのも、ひとえに愛国心があるからだろう。
愛国心、という言葉は日本のものとは違う。英語ではパトリオティズムと呼んでいて、日本の場合はナショナリズムに近いんじゃないだろうか?
アメリカの国民が愛国心を持つのは、独立からの自由の気質・フロンティア精神・超国家としての矜持などなど、様々な要因がある。
なんといっても、自由という言葉はアメリカの建国に関わっており、そして民主主義を誇らしく思う原点だろう。
国の作り方からしてそもそもが違うし、なんといっても大統領選がお祭りとして扱われているのが日本とは違うところ。

そもそも、日本自体は100年前くらいに封建制・ファシズム(民主主義ではあるが)からやっとこさ西側からの命令で資本主義・民主主義に変わったものなのだから、民主主義に対する歴史が新しい。もちろん、学生左翼運動など、政治に注目してた時代もある。
けれど、日本の政治というものは厳格になりすぎているんじゃなかろうか? インテリのもののようになっており、カリスマ性を持った政治家より、知的であるかどうか・政党としての色を強く持っている偶像であるかどうかが見られている気がする。そもそも、学生運動自体、インテリのものであったし。
そうなると、政治が分からない人間にとっては、どうでもよいことに思えてしまう。難しいのだから仕方がない。よく分かんなくしてるのはインテリだ。
リベラルな社会で、社会主義も機能してる社会だけれど、結局は自由という言葉によって平等が守られているかといえばそうではない。そもそもが競争社会を激化する資本主義社会だし。
インテリばっかり優遇されて、インテリが政治を牛耳る社会というのもなんだか不公平な気がしてならない。もちろん、どの世界でもインテリが政治をするものなのだが。
今の若い人はそういうものなのじゃないかと思う。一部のインテリはきちんと投票をするだけの世界。これは本当に大丈夫なのだろうか。
海外のように政治に対する知識を若いうちにつける必要がある。けれど、日本は政治的な偏りが多く、政治を教えようとすればぶつかる壁が多すぎる。だが、やらないよりマシだと思う。右翼でも左翼的でもいいから教えるべきだ。そして、子供たちが政治の歪さに気づき、どう立ち回ればいいかと悩むべきだ。

選挙がお祭りのようなものだという認識があれば、もしかしたら日本はコスモポリタンとして一歩進めるんじゃないかと思ったアメリカ大統領選でした。

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