Call

1.

 幻想郷の外の世界はめまぐるしい技術の進歩と、それを象徴したスクラップアンドビルドを繰り返す街並みが流れている。夜中でもせっせと仕事を続けているビルの明かりと、不夜城のごとく綺羅びやかに光る歓楽街。有害なガスを撒き散らす自動車がぶんぶんと通り過ぎていく。
 
 男は目まぐるしい社会でサラリーマンをしている。特に仕事に不満を持つわけでもなく、とりわけ人生に悪いことなんてなかった。しいて言えば、最近愛するものを失ったことだろう。
 どこにでもあるアパートの4階の角っこが彼の家だ。鉄製の扉がギギギと軋み、男の伸ばした手が明かりをつける。ぱっと、蛍光灯が光を灯すと、誰もいない静かな部屋がライトアップされていった。何の変哲もない、1DKの部屋だ。
 クタクタの背広を脱ぎ、男はそれをハンガーにかけると、床に座り込んで一息つく。ぼーっと天井を見てみるが、とくに面白いことはない。その行為には名前があって、フェレンゲルシュターデン現象という。だからどうしたという話なのだが、白い壁紙は男の魂を吸い込んでしまうくらいに無機質だった。
 机に飾ってある、額縁に入った彼女の写真を眺める。男がなんとなくスマホのカメラで撮った、彼女の笑顔。あれは確か海浜公園で一緒に散歩をしていた時に撮ったものだなと、男は思い出す。
 写真に写された笑顔から少しだけ勇気をもらい、男はくすりと自嘲気味に笑う。買ってきた弁当を机に並べて、黙々とそれを食べ始めた。ソースが乾いてしまった冷たいヒレカツの脂身が、舌を蕩けさせていく。
 
 
ブーッ……ブーッ……

 お茶を口につけていた時だ。スマホがブルブルとポケットの中で唸っている。どうやら、電話がかかってきたみたいだ。もう、夜の12時だというのに一体どこのどいつだろうと、男は少しげんなりする。
 けれど、もしかしたら大事なことかもしれないので、取らないわけにもいかなかった。男は電話番号を確認せずに、画面の受話ボタンをタッチした。
 
「もしもし」

 少しだけ、男は不機嫌そうに声を出した。どんな奴が相手でも、この不敬な相手に不快さを示さないわけにもいかなかったからだ。
 
「私、こいしさん。今、幻想郷の外にいるの!」

 返って来たのは、とてもかわいらしい女の子の声だった。小さいころ、子供向けのアニメで聞いたような、陽気で無邪気で、演技じみた声。その人工物のような冷たさを帯びた声は男の恐怖を強く煽る。
 
「君はだれだ?」

 ぶわっと脳髄から噴き出る冷や汗を肌で感じながら、男は女の子に尋ねる。
 
「私は古明地こいしっていうんだよ! よろしくぅ!」

 なんとも、フランクでよどみのない返事だった。その馴れ馴れしい感じが心地よかったり、逆に恐ろしかったり。男は女の子の意図が分からず混乱している。
 
「いたずら電話かい?」

 最近の子は学校があるにも関わらず深夜まで起きていることが多いと男は聞いたことがあった。きっと、この子も寂しさ余っていたずら電話なんかをしているのだろうと推測する。
 
「ちがうよ! 私はお兄さんを殺しに来ただけだよ!」

 ぎょっと男は目を見開いたが、なんとも荒唐無稽なセリフに少しだけ笑みがこぼれた。

「冗談にしちゃたちが悪いな」

「本当だもん! ぷくーっ!」

 軽い口調で男が流そうとすると、女の子はあざとい仕草で返してみせる。道化地味たセリフ回しに男も悪乗りしてやろうかと思ったが、相手にするだけ無駄だと思い、有無をいわさず電話を切ってしまった。
 
 ピッ!
 
「一体何だったんだ」

 疑問に思いながらも、再度電話がかかってくる様子もなく、男は女の子のいたずら電話だと断定した。
 
 いつもどおり、昨日の2倍の量の薬を飲み終わった男は布団に入り、就寝する前に考え事をする。最近、女性と話す機会があまりなかったので、女の子の電話は少しだけ嬉しかったのだ。
 一緒に恋愛物の映画をみて、登場人物たちの関係を熱く語らう愛しの彼女を、男ははしゃぐ子供を相手するように見つめていたことを思い出す。あの頃は楽しかったなと、懐かしい気持ちになった。
 ふっと目をつぶり、男はゆるやかに眠りについた。
 
2.

 12時きっかりだった。夜の12時。男が会社から帰宅して、テレビ番組をぼぉっと見てた時に電話はかかって来た。
 電話番号を見ていると、514としか書かれていないので男は不気味に思った。これは、“こいし”と読めるのではないだろうか。
 男は恐る恐る電話をとってみることにした。まるで、メリーさんの電話をとっているみたいだなと男は好奇心で満たされていたのだ。
 
「私、こいしさん! 今、横須賀にいるの!」

 びゅんびゅんと飛んで来る車の音が混ざっている。女の子は深夜に差し掛かっているのにもかかわらず、外に出ていることに少しだけ心配してしまう。
 東京住まいの男の家からすこし離れたところ。横須賀はそんな場所だった。
 
「お家に帰りなよ。親御さんが心配してるよ」

 男が優しくたしなめると、女の子は鈴の音のように返事をした。
 
「そんなもの、私たちには存在しないなぁ。だって、私は妖怪だもの!」

「妖怪?」

「そう、私はさとり妖怪。でも、心の目を閉じちゃったから、心は読めないのよ」

 さとり妖怪というものにピンと来なかった。男はこいしの言葉を鼻で笑おうとしたが、電話番号の違和感が払拭されなかったのだ。こんなにもドンピシャなものを用意できるっていうのはどういうことなのだろうと。
 
「こいしちゃんはケータイを使ってないのか?」

「ケータイ? 携帯電話のことね」

「そうだ、君の番号に市外局番がないんだよ」

「私は黒電話でかけてるんだよ?」

「黒電話? あの、ダイヤル式のやつかい?」

「そうよ。私がもつ怪異の1つなの」

 車が通る大通りで電話をかけているのに、黒電話で話しかけられるわけがない。けれど、やはり男は電話番号が気になって仕方がなかった。
 
「仮に君が妖怪だとして、なんで俺に電話をかけてきたんだ?」

 訝しげに男が尋ねると、昨日と同じようににこやかに答えた。
 
「だーかーらー、お兄さんを殺しに来たんだよ♪」

 電話越しに話しているこの女の子ならやりかねないんじゃないかと男は思う。けれど、それもちょっとした催し物か何かだと男は考えた。
 
「そりゃ、楽しみだ」

 来れるものなら来てみろと、男は腹をくくる。
 
「横須賀の港を見に行ったの! とってもおしゃれだったわ! かっこいいお船もたくさんあったし。軍艦っていうのかな」

「ああ、あそこか……」

 男の脳裏に彼女の顔がぼんやりと浮かぶ。男が昔、彼女を連れて行ったことを思い出させるのだ。あの写真立てに写ったものを。
 
「幻想郷に海なんてないから、潮風に当たるのもとってもステキなことなの。まあ、結界を抜けだして外に来るなんてことはざらだから、そこまで珍しいってわけじゃないんだけどね」

「君は閉じ込められてるのかい?」

「妖怪はみんな、この世界では受け入れられなくなったから、自分たちの世界に旅だったのよ」

「俺達が妖怪を信じなくなってしまったってことかい?」

「そういうこと。だから、存在自体が認められる世界に引きこもったの! それが幻想郷!」

「幻想の郷だから、幻想郷か。楽しそうな世界だな」

「そうよ、あなたも死んだら幻想郷に来てみない? 歓迎するよ!」

 これは暗に死ねば幽霊になって幻想郷に行くということなのだろうかと男は思う。幻想郷というところにはきっと、幻想になった地獄も天国もあって。
 そんなことを真剣に考えるのは馬鹿らしいと思い、男は話半分にしてみせた。

「死んだら……か。その時は案内頼むよ」

「オーケー! じゃあ、今日は切るね」

 そういうとガチャンとスピーカーから音が流れる。それとともに、通話が切れた。
 男は自分のスマートフォンをまじまじと眺めながら、少し考えこむ。
 
「これって、本物なのか? ……いや、なにかのいたずらだろ」

 男は頭を振って、この可愛らしい女の子のことを考えるのをやめた。
 コップに麦茶を注いで、昨日の2倍の量の薬をぐっと飲み込む。そのまま、疲れからベットに倒れこむと寝息をたてた。
 
3.

「なあ、こいしちゃん。死んだ人の魂はどこに行くんだい?」

 再度かかってきたこいしからの電話に、男は何気なく尋ねてみた。あれから、2回ほど電話がかかってきているが、徐々に男の家に近づいてきているようだ。
 そのあたりから、男もこいしのことを信じるようになってきた。だからこそ、知りたいことを死ぬ前に聞いてみた。
 
「死んだ人の魂は色々なところに行くわ。幻想郷でのんびりと何にも縛られるずに生きるのもいれば、三途の河で審判を待つ人も。怨霊として悪さをする人もいる。結局のところ、自分の生前の記憶が重要なのかなって思うわ」

「生前の記憶……」

 男は自分の記憶を辿った。
 あの日、自分の目の前で死んだあの人のことを。車に轢かれて、血が呼吸器に詰まって窒息死した彼女のことを。死ぬ時まで自分の顔を必死に見つめていたことを。
 ドロドロとした感情がマグマのように男の心に湧き出る。すると、目頭が熱くなった。
 
「例えば、好きな人が死ぬと、続くようにもう片方も死ぬことがあるの。それはね、怨霊が取り付くからなのよ。大事にしてくれた人と一緒に居たいという願望が強くなりすぎて、制御できなくなるの。それで、呪い殺しちゃう」

「俺に恨みを持って殺しにかかるってことなのかな……」

 ぐっと電話を持っていない手で握りこぶしを作る。わなわなと体が震えて、気が気でなかった。
 
「そっか、お兄さんの死にたい理由ってそこだったんだね。でも、残念ながらお兄さんには怨霊はついてないと思うわ」

「それはそれで、なんか悲しいな」

 今まで自分が死にたがっていたのは彼女が寂しかったから。男はそう思うことで救われるような

「呪い殺さないってことは、それだけあなたを愛していた証拠かもしれないわ」

「え、とても好きだから呪い殺すんじゃないのか?」

「逆に、冷静に愛を願う人は呪い殺そうなんて思わないの。お兄さんは自分で自分を殺すために頑張っているようだけど、それは自分の意志にすぎないよ」

 薬の量を増やしたりしているのがバレているのかと男はぎょっとした。だが、妖怪ならそういうことも筒抜けなのだろうと決めつけることにした。
 
「私はね、無意識に死にたい人を殺すために電話をしているの」

「無意識に。それはどういう意味なんだ?」

「意味なんてものはないよ。私はただ、無意識に生きる妖怪なの。お兄さんの無意識に惹かれて、お兄さんを殺しに来ただけよ」

 その言葉を聞いて、男は自分の気持に正直になった。自分はやはり、死にたい気持ちばかりでいっぱいなのだろうと。
 精神科からもらっている薬をオーバードーズしているのは自傷行為じゃなくて、本当に死のうとしているんだと理解した。
 
「じゃあ、殺しに来てくれよ。俺は彼女が死んでから、生きている意味がわからなくなったんだ」

 絶望感に苛まれた男はゆっくりと頭を垂れる。投げやりな感情に立ち上がる勇気もなくなっていた。
 
「いーよ! じゃあ、明日はあなたの後ろにいるから」

 そう告げると、こいしからの通話は切れてしまった。
 男のもとにあるのは静寂だけだった。
 
4.

 机の前にあるのは1枚の手紙。男はそれに自分の遺言を書こうとしたが、良い文面は思いつかなかった。
 
「これから彼女の後追い自殺をします。って書くのもなにかいい気分じゃないな」

 そう考えながらも、肩肘を付きペンの尻で机を叩くが、答えは出ない。
 
「部屋の掃除はしたし、死ぬ準備はできているはずなんだが」

 有給をとって、今日は一日中下手の掃除に徹していた。男はそうやって自分の身辺整理をしたのだ。
 
「そういえば、彼女は俺を殺すつもりはないってこいしちゃんは言うけれど……」

 その言葉を思い出すと、男はピタッと自分の動きを止め、思考に更けた。
 
「俺に死んでほしくない……か」

 こいしの言葉を男は思い出した。こいしのいうことが正しければ、彼女は俺に生き続けてもらいたいのだなと考え始める。
 だが、男はその彼女の元へと旅立ちたかった。その気持は覚めることがない。
 
「どうすればいいんだ……」

 男はぐっと自分の頭を抱える。なぜなら、生きるという選択肢が一番難しいことをよく知っていたからだ。
 
「俺が逃げてるだけだって知っている……だから、こいしちゃんは電話をかけてきたんだな」

 弱い自分を自覚しながらも、それに抗う気持ちは男にはわかなかった。
 
 電話のバイブレーションがカタカタと机の上で震えている。
 恐る恐る、男は電話を取ることにした。
 
「私、こいしさん! いま、あなたの家の玄関にいるわ」

 その言葉に背筋がぞっとした。冷や汗をかき、男の心拍数は跳ね上がるばかり。
 
「なあ、こいしちゃん。俺怖いよ」

 だが、こいしは何も応えなかった。
 いや、がちゃりと鍵をかけていた玄関が開く音がする。そして、ぺたぺたと廊下を歩いている音が電話からも、片耳からも聞こえてくる。
 
「こいしちゃん、怖い、怖いっ!!」

 男はガタガタと震えだした。目は充血し始め、呼吸が上手く出来ない。ひんやりとした死のリアリティから涙が出てきた。
 
「死にたくない、死にたくない!!」

 土壇場に来て、男は死の甘美と恐怖を天秤にかけ、恐怖が勝ってしまった。
 
 
「私、こいしさん。今、あなたの後ろにいるわ」


 メリィっと背中の肉に刃物が刺さる感触がした。とてつもない激痛。そして、後ろを振り向くと、とても目が澄んでいる可愛らしい美少女がいた。だが、その評定には感情なんてものを一切感じることはなかった。作り物の、まるで仮面を被っているような不気味さで覆い尽くされている。
 
 
5.

 血の気がすっとなくなっていくのが男には分かった。一応、霞む瞳で辺りを見回したが、こいしはいない。
 
「あぅ………うぎぃ」

 なぜだかは分からないが、男は辛うじて生きていた。土壇場で死ぬのが怖くなって、こいしちゃんが消えてくれたんじゃないかと。
 手元にギュッと握られていたスマートフォンにゆっくりと番号を打ち込む。
 そして、そのまま気絶してしまった。
 
 
 男は夢を見た。
 死んだはずの彼女と手をつなぎ、横須賀の港を歩いている時を。
 笑う彼女に男は満面の笑顔で応えてみせた。
 
「ああ、一緒に行こう。君とならどこへでも行けそうだよ」

 そう唱えると、男はそのまま冷たい水の中に埋もれていく。ゆっくりと、ゆっくりと。そのまま、意識は永遠に途絶えてしまった。
 ツーツーと電話の音がなる。男が世界から途絶えたことを象徴する音だった。

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