そーなのかー

 私、ルーミアはかなりマイペースな妖怪だと思う。結構、のんきに生きているから、難しいことを考えたりはしない。だから、他の妖怪や巫女に馬鹿にされるのだけど。
 博麗神社のまわりは妖怪がうようよしてて、私はその中の一人だ。参拝客を食べると巫女が復讐鬼のごとく殺しにかかるのでそうそう狙わない。狙わないが、こっそり食うやつはいる。
 私だって腸を食いちぎり、臓物を思う存分喰らいたいと思うことはあるが、そこまで食欲にこだわっているわけじゃない。むしろ、私は妖怪の中でも温和な方だと思う。
 けれど、人間よりも強い力をもっているのに、何も持っていない私は時々怖くなることがある。だって、これといって社会に交わる能力がなく、未来を照らすものがないから。闇の妖怪だから、私は自分の手元足元すらちゃんと見ることが出来ない。
 ああ、私にはなにもないんだなって実感するたびに、そーなのかーって言葉で片付けてしまう。ほんと、このセリフは万能だなって。私のすべてを物語っている。
「そーなのかー」
 この言葉を吐く度に、私はどうでもいいやと思考を放棄する。あれ、今ちょっと賢い感じのセリフを吐いたのかな。どうでもいいけど。
 大きな樫の木に腰掛けて、ぼーっと空を見上げるけど、空は暗い。だって、木陰で埋もれているのだから。時折差し込む日光は私の目をつんざく。だから、ちょっとだけ闇を生み出してサングラス代わりにする。
 他の妖怪たちは同じものを見ているのだろうか。私のようにふらふらと生きていて、代わり映えのないことばかりする。それが、妖怪のアイデンティティというやつだからしかたのないことかも。横文字使うとちょっとかっこいいね。
「学校に行こうかなぁ」

 人里の寺子屋の先生が妖怪向けに勉強を教えてくれるらしい。なんでも、妖怪でも学を身に付ければ社会に貢献できるとかなんとか。
 学を身につければ誰かに騙されることもないし、誰かに優しくすることも出来るらしい。いいことずくめだけど、人を騙そうっていうやつはみんな学があるやつだ。
 私はなんとなく、学校に行ってみることにした。深夜にこっそり人里の寺子屋を借りて勉強を教えてくれるのだ。
 国語に算数、歴史などなど。上白沢慧音という半妖の妖怪を筆頭に、頭の悪い子たちの目を啓かせてくれる。
 そういうことを学んでいけば、退屈しない自分になれるんじゃないかと淡い希望を抱いていた。知識を学べば、足りない頭も良くなるし、良くなればこの世の中を少しだけでも理解できるんじゃないかって。
「む、難しい……」
 でも、基礎知識のない私は借り物の教科書に書いてあることが理解できない。ひらがなと多少の漢字は読める。十進法だってわかるけど、文章が頭に入ってこないのが問題だ。ぷすぷすと頭の回路がショートして煙を出している。
 先生が論語の一節を丁寧に解説してくれているのだが、古い言葉なんて理解できるわけがない。だって、私は別に、日本で生まれた妖怪じゃないんだし。感性が違うんだよ。
 ウグイス色の畳の上で正座しながら授業を受けているのも億劫だ。足がしびれてきて集中ができない。なんだか足の親指同士がもぞもぞする。
「うーっ」
 だれだ、勉強しに行こうって思った奴は。ほんと、こんなものが私のためになるのかなって、理解力の乏しい私にはわからなかった。
 こういう時、人の話を聞いて、そーなのかーって納得できればいいんだけど。たいてい、私はそーなのかーって聞き流す言葉にしがちだ。いまだって、そーなのかーって、理解したふりをしてみせる。
 
 それでも負けじと私は学校に通うことにした。時折、先生が終業間際に少しだけ勉強を見てくれるので、徐々にだが授業に追いつけるようにもなった。
「ルーミアは頑張り屋さんだね」
 先生の中の一人が教壇の前で、私の頭をなでて我がことのように笑ってくれる。メガネを掛けて髪型をピチっと決めた、いかにも聖職者といった男の先生。こういう人が教育者なんだなってなんとなく思った。
「そーなのか? えへへ……」
 照れ隠しのそーなのかーって言葉も案外悪くない。むしろ、こういう言葉を使うのは久しく、気持ちが良かった。顔が少し熱くなるのは問題だけど。
 その先生は国語の教科書の付喪神らしい。だから、物事を教えるのが上手なんだろう。私達が使っている教科書にも魂が宿ることってあるのかな。
 とても優しい先生。みんなにまんべんなく優しくて、他の妖怪の子たちにも人気がある。私も少なからずこの先生のことが好きだ。でも、決して恋愛感情って言う訳じゃない。
「そろそろ帰らないとかみさんが心配するから」
 そう、この人にはすでに人間の奥さんがいるから、お手つきなんて出来るわけがない。そうやって、人は諦めることが出来るんだなって。肩書だけで、人は人を判断してしまえるんだって思った。
「そーなのかー!」
 私は笑って先生のことを送り出すけれど、心の中では上手く笑えてなかった。そーなのかーって曖昧に肯定的に使うのってなかなか難しい。人に同感するってことは、心に余裕が無いとできないものだから。
 やはり、私はこの先生のことが好きなままでいる。好きだけど、子どもの私なんかを相手にするほど暇じゃないだろうし。かといって、子どもの私が背伸びしても大人になんて届くことはない。
「そーなのか……」
 私は自分の胸に手を当てて考えてみるけれど、自分の気持ちは偽れなかった。偽れない気持ちがよく分かるから、そーなのかって納得しちゃう。納得してしまう自分が痛々しい。かなわない恋心ほど拙いものはない。
 
「ねえ、先生。私、先生のことが好き」

 放課後、寺子屋の裏側でこっそりと、玉砕覚悟で私は人生初の告白をしてみた。というより、玉砕することは確定済みだ。
「ごめんね、オレにはかみさんがいるから」
 軽く笑い、申し訳無さそうな顔をしてみせる。手慣れた対応だった。他の妖怪の子も告白してたりするのかな。
 自分の心がもどかしくて告白してみたけど、叶うはずもなかった。子どもの淡くて短絡的な恋心って具合に壊されてしまった。改めて客観的に見ると、滑稽だ。
「そーなのかー、ちょっとからかっただけだよ!」
 いつの間にか私は駈け出して、我が家の方向へ駆け出していった。恥ずかしさが急に体中を駆け巡ったから。私が道化を演じているのが悔しくてたまらない。自然と涙が頬を伝った。
「そーなのか、そーなのか、そーなのか!」
 そんな恥知らずな私の体を闇が隠す。こんな姿、誰にも見られたくなかったから。
 私が子どもだから、力がないから、学がないから。こんな現実が当たり前で、そーなのかって頷くことしか出来ない私が情けなくて。
「そーなのか!! あはは……」
 そうやって、今まで私は諦めてきた。そーなのかって、他人事みたいに。そういうものだから、仕方がないって。なんて、弱い生き物なんだろう。
 
 でも、私は自分を変えたいって気持ちは変わらなかった。学校を一週間サボってみた感想だ。
 オリオン座が見える綺麗な夜空の下で、大きな樹の枝の上でぼーっとしてたら、やっぱり退屈のままだった。なんで退屈なのかは少しだけわかってきた。考えることが少ないからだ。
 頭のなかで初めて習った論語の言葉を反芻する。あの先生が最初に教えてくれた一節だ。
「子曰く、学びて時に之を習う。亦た説ばしからずや」
 後なんだったっけ。ああ、ちゃんと覚えていない。勉強すれば、体を鍛えて強くなっていくように、自分の世界も広くなって楽しくなるよって意味だったと思う。
「そーなのかなぁ」
 やっぱり、学校には行くべきなんだろう。この鬱屈した自分の状況は、きっと学を付けることで治るはずだ。世界が狭いから、私はきっと、小さいことで悩んだり、小さいところで退屈したりする。
 先生のことだって恥ずかしがってばっかりじゃ前に進まない。もともと、無理な恋だとわかって玉砕したのに、ふてくすだけなんて進歩してないじゃないか。
「そーなのかー!」
 がばっと私は体を起こして、ほおほおと鳴くふくろうよりも大きな声を上げてみせる。世界が少し明るくなったことが嬉しかったから。そーなのかーって言葉が輝いて見えたから。
 口癖のように使うこの言葉もちょっとずつだが慣れてきたように思える。何気なく使っていた時よりも情緒的で、すっごく楽しい。
 私はこの口癖が好きだ。だって、私の人生はそーなのかーって、曖昧と発見で出来ているのだから。

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