「心に描いた情景は完璧だが、口で語る情景は趣がある」

そそわからの転載

 旧地獄の怨霊たちを統括する地霊殿の主、古明地さとりは心を読むことの出来る大妖怪である。故に心を読まれることを不快に思う者からは毛嫌いされていた。さとり自身もそのことをよく理解し、不評を意に介さず泰然自若を主として、自分を慕うものを集めて地霊殿に引きこもっている。
 仙界の神霊廟の主、豊聡耳神子は優れた洞察力と十人の会話を同時に聞き取る能力によって心を読み取ることが出来た。その者の持つ欲望を超人的な分析によって意図を汲み取り、心を読まれたものはすべてを見透かされた気分になり、神子に畏怖した。才気煥発であり、優れた為政者である神子は沢山の人間に慕われている。

 ある日のこと、神子の誘いでさとりはお供も付けず、一人で神霊廟に赴いた。なんでも、心が読める者同士、何も言わず、心の中だけで会話をしてみたいというのだ。その試みにさとりは無碍に断るわけでもなく引き受けた。

 神霊廟は洋館である地霊殿とは大いに異なり、清浄な雰囲気で満たされ、天界舶来の華奢な調度品で彩られていた。皇族たる神子の威光が顕になっている作りである。
 奥座敷に体貌閑雅(たいぼうかんが)に座す神子と相対して、寂然静虚(せきぜんせいきょ)に臆すること無くさとりは畳に正座した。
 底知れぬ大きな力を宿した大妖怪と、神にも匹敵する超人的な能力を持った仙人との対談を、物部布都と蘇我屠自古は固唾を呑んで眺めていた。

 いざ、対談が始まると、さとりと神子は各々微動だにせず向かい合っていた。予め心で会話をすることを聞いていた布都と屠自古だったが、口で言葉を介さぬ異様な雰囲気に呑まれてしまう。
 五分ほど経った頃だろう、さとりが立ち上がり神子に会釈をする。神子も同じように一礼すると、さとりは神霊廟を後にしてしまった。
 さとりが去るのを見届けた神子の元に、布都と屠自古は駆け寄る。一体、二人はどうのような事を心のなかで話していたのかと尋ねた。
 神子は部下の不思議そうな顔に、気持ち良く笑ってみせた。布都と屠自古は神子の考えがわからず呆ける。理解できぬ二人に神子は一言述べた。
「心に描いた情景は完璧だが、口で語る情景は趣がある」
 神子曰く、さとりは心を読めるものとしての戒めを教えてくれたのだと。心のなかで話した内容は、さとりの失敗談であった。
 
 さとりには古明地こいしという妹がいる。姉と同じ心を読むことができた大妖怪である。姉と違い、天真爛漫で噂を物ともせず、放浪しては新しい事を見つけるのが得意であった。こいしがまだ心を読めた時の話である。
 土産話をこさえては、敬愛する姉の元へと帰ってくる。1日の出来事を語るのがこいしの日課であった。
 しかし、一生懸命に語るこいしとは裏腹に、さとりは寡黙にして、決して口で物事を語ろうとはしなかった。
 そのことにこいしは大いに憤りを感じ、姉に口で語り合おうと催促したのだ。
 さとりはこいしに、心で話し合いが出来るのだから、心を覗きあえば良いではないかと言いのけた。加えて、こいしの話す言葉は心の声をそのまま出しているだけに過ぎず、声に出さなくても十分であるとも述べた。
 さとりはあまり話したがらない性分で、こいしといる時は話さずとも心で通じあいたいという思惑があったのだ。姉妹として、言葉数少なくとも以心伝心であることを望んだ。
 しかし、姉の素っ気ない態度にこいしは激怒した。されど、さとりは自分の考えを曲げることはなかった。
 諦めの悪いこいしは自分の心を閉ざすまで、姉に自分の気持ちを声に出して伝えることを一日足りとも怠らなかった。
 
 心を閉ざしてしまったこいしの心を、さとりは二度と読むことは出来なくなってしまった。それ以来、さとりにはこいしの気持ちが良くわからなくなってしまったのだ。
 無意識にしか話さないこいしの言葉は頓珍漢で、本当に考えていることが叢雲に失せる月のように有耶無耶になってしまう。
 せめて、こいしの心があるうちに、さとりはこいしの声を聞いて於けばと大いに後悔した。
 不器用ながらも声に出して気持ちを伝えるということは、その不器用さの穴を余分な会話で埋めていくことなのだと。横道それたところから新しい発見が出来るのだ。他愛のない会話こそ、面白いものである。
 心を読むだけで済ませていたさとりには、会話というものの本質を十二分に理解していなかったのだ。
 
 神子は為政者として、民の欲望を読み、天賦の才により最善の道を示してきた。しかし、民の声を聞くのではなく、その根源たる欲を読みとることにしか注意をしていなかった。
 人間の言葉というものは思い悩んでいるうちにあるものではなく、声に出さなければ言葉ではない。不確かな言葉があらゆる思索を生み出すのだ。
 故に、神子は言葉の持つ不確かさを良しとせず、試行錯誤することを怠った。なぜなら、心に描く情景のほうが物事が完璧に伝わるからである。
 だからこそ、「心に描いた情景は完璧だが、口で語る情景は趣がある」と表した。
 
 さとりがあえて、心だけで会話をしたのは、神子が完璧さを求めることへの戒めであった。
 心で考えたことは確かに一瀉千里(いっしゃせんり)であるが、声に出す方が得られるものが多いのである。
 心を読むということはお節介であり、そのものに対して知ったかぶりをするのと同義であった。
 だからこそ、声に出して初めて分かることがあると、さとりは伝えたかった。
 あまりにも分かりやすい心での会話は、神子に新しい考えを生み出す余地を与えなかったからだ。
 
 神子の解説に、二人は大いに感銘を受けた。

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント