幽霊を信じる根拠

 久しぶりにエッセイを書くのですが、ちょくちょくツイッターで呟いた内容をまとめて書いてみようと思いました。なんだか、散文というのは自分の偏見で出来ているので、人様に見せるというのは拙くおこがましいものだとは思いますが付き合っていただけると幸いです。
 ということで、今回は幽霊を信じる根拠を語ってみたいと思います。少々スピリチュアルな話で胡散臭い気がしますが、なるべく宗教やオカルト色を減らして語っていきたいと思います。

幽霊というものを端的に表すとしたら「引き継がれるもの」だと自分は思うのです。

 さて、人間が死んだらどうなるかを考えてみたいと思います。もちろん、死んだ故人に対して嘆き悲しむのもそうですが、その故人が残した者について処理をする必要があるのです。例えば財産であるとか、思い出であるとか、故人に対する評価であるとか。我々残された遺族や友人達は死んだ故人に対して何かしらのプレッシャーを感じざるをえない。

 つまるところ、そのプレッシャーというものが幽霊の正体であり、錯覚でもあるのです。

 錯覚という言葉を使ったのは、人間は何かしらの意味を求める生き物だから。自分の存在価値などを意味づけすることによって目標を定めるというのは人間がよくやる手口なのですが、それは人間社会において有用であり、実際にそれそのものの正当性というのはないのです。生きる意味そのもの自体は物理的な価値を持っておらず概念上のものであり、すごくフワフワしている。
 人間は思考する生き物で、意味を求める生き物故に本来は物理的な価値が無いのに、意味という価値を付け加えることで初めて人間がものとして判断できる。だからこそ、意味は人間にとって重要なものであり、非常に抽象的でしかならない。自然科学に反しているといっても過言ではないのかもしれない。もちろん、人間の精神などは心理学などで科学的に暴かれているのは確かだが。
 話が非常にずれたのだが、意味というのは呪いのようなもので、それは時として的はずれなことをしてしまうことがある。例えば、中世の魔女裁判であるとか、地球が丸いということを科学的に信じなかったり。もちろん、その時代の本人たちは真剣に考えており、科学的根拠がない事象に対して「分からない」から見当を付けたに過ぎないのです。
 つまるところ、幽霊に関してもそのような産物であり、今でも科学的根拠がない錯覚でしかない。もちろん、その存在自体を否定することもまだ人間には出来ない。ある実験で死ぬ瞬間と死んだ後で体重を測ったら21グラム減っていたのが分かり、魂の重さは21グラムだという風説もあったりします。
 さて、人間とてバカではなく、何かしらの根拠が無いと幽霊という存在を認識することはないだろう。面白いことに全世界で霊魂の存在を信じているのだから、それは集合的無意識に刷り込まれていることなのかもしれない。
 死んだ後はどうなるかを推測するにあたって錯覚を先に覚え、それを軸に理詰めでその存在を暴いていかなければならない。ある程度ガバガバであるが「これはこういうものじゃないか?」という憶測は物事において必要なのだから。
 今回、幽霊を信じる根拠に当たって演繹法で求めていきたいと思います。つまるところ、幽霊というものをちょっとづつ暴いて行く感じです。
 さてはて、幽霊というものは死んだ後にあの世で魂として生き続けているものだといえます。もちろん、人間は死ななければ死後のことはわからないので、幽霊というものは勝手な思い込みな所はある。けれど、幽霊というものをあえて、その人が死んでから残された人たちにスポットを当てると面白いことが分かる。

 それは、その人が死んでから遺族に与えられる影響が深く関わっているのだ。

 人が死んだ後は悲しい感情でいっぱいになり、その人を意識しなければならない。本人はすでに死んでいるのに、その人に思いを馳せてしまうのです。その悲しみも幽霊を信じる1つの要素である。
 次にその死んだ人が何をしたかによって地獄か天国に行くかを勝手に判断することになる。それは、あの世があるとしたら人間はそれに沿ったジャッジが下されると信じているから。そうでなければ人間の善悪は正当性を持たないからです。そして、それは幽霊に対しても当てはまる。死んだ人間にも意味は適応されるのです。
 また人間は時間の流れるままに生きる生き物なので、死んだ人の意志や財産を受け継がなければなりません。その意味や財産というものは死んだ人が築いたものであり、そして死んだ人の価値そのものなのです。それは一種の呪いのようなもので、自然と背負わなければならないものです。
 そう、その背負わなければならないものがまるで生きているかのように、遺族の精神に対して粘っこくへばりつくのです。そして、まるで生き物として人間に様々な意味を与える存在こそ“幽霊”なのでしょう。

 この世に有機物として存在しないけれど、死んだ後に降りかかる遺族へのプレッシャーは幽霊という無機物ではあるが存在するものとして捉えざるを得ない。それこそ、人間の錯覚としての幽霊そのものなのです。
 まるで、まだその人が生きているんじゃないかと錯覚を覚えてしまうのは仕方がない。それこそ、幽霊を信じる根拠だと私は言いたい感じです。

 自分もそのプレッシャーを感じることが多く、死んだ祖父に対して泣いたことや残してくれた財産で学校行かせてもらったことを考えると、その受け継いだ物がまだ祖父の意志が絡んでいることが強く感じます。
 人間は時間に抗う術はまだ持っていないので、無情にも今も時間は過ぎていく。その激流にも似た流れの中で、生きていくことは強いられている。そして故人が残してくれた技術や文明を享受する私たちは、その昔の人を感じざるをえないのは我々の敬意であり義務なのでしょう。

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント