自殺攻撃について

 単純に自殺攻撃はカミカゼという単語が出てくるのが世界一般の常識で、現在ではアラブ諸国でよく使われている攻撃の一つ。テロとしては忠誠心を示す行為でもあり、効果的で防ぐのが難しい攻撃手段だとも考えられる。
 そもそも、なぜ自殺攻撃がテロでよく使われ始めたかというと、海外で活動している日本赤軍が第二次世界大戦の神風特攻隊よろしく自爆攻撃を繰り返したことにも起因する。日本人のメンタル的な部分が自殺攻撃を生み出し、それをアラブ系のテロリストが教義と絡ませたのが結果である。

 第二次世界大戦の神風特攻隊でもそうなのだが、戦闘機による特攻は効果的だと分かり、繰り返し行われた現実がある。それほどまでに敗戦濃厚の切迫した空気が流れていたのも事実で、苦肉の策といえるやり方だ。
 しかし、なぜ自殺というものを強いることが出来たか。それは行き過ぎたナショナリズムが起因しているといえよう。お国のためなら死する覚悟を謳い、万歳突撃を繰り返していた日本軍ならではの戦法で。これもまた、天皇という神に対する忠誠と言える。

 自殺そのものを考えると、人間はそうそうその選択肢を選ぶことが出来ない。いや、進んで死ぬという行為は絶対に選びたくない選択肢の一つだ。それでもなお自殺攻撃を行おうとしたかは単純で、思想の違いとも言える。
 思想の違いというのは、自殺に対する考え方だ。葉隠や武士道を読んでみると、恥じるよりも死んで潔く散ろうという考えや、国のためなら自分が犠牲になってでも守ろうとしたり。忠義に生きることが尊いとされていたという背景もある。戦い方において、それは色濃く反映されてたと言っても過言ではない。
 それが精神的に優れているかはさておき、思想が人を自殺に至らしめるのは超常的だとも言える。全体の空気や思想が兵隊の士気を上げた結果だとも言えるのだ。

 元々、昔から兵士というのは士気が低く、農民から徴収していた時代はすこぶる低い。騎士などの職業軍人ならいざしらず、命が大事な農民にとっては死なないことが第一だったろう。加えて、ナショナリズムや領主への忠誠が低い時代のため、士気を保ちながら戦うのは非常に難しいことだったといえる。
 士気というのは戦争において非常に大事なポイントであり、これが低ければ兵士は逃げ出したり、怯えて混乱し、一方的に蹂躙されることだってありえる。逆に言えば士気を高めれば兵士は死を覚悟して戦うことも出来る。
 常備軍の設置もそうだが、いかにして兵士というものを強く・士気の高さ・命令を聞く忠誠等を高めていくかが主題になり、それが国に対する連帯感(パトリオティズム)であるとか、人種としての熱い絆(ナショナリズム)にも絡んでいって、兵士はいつしか死ぬよりも忠誠に生きるようになった。

 環境がどんどん兵士というものを厳格化していく。それは、古代ギリシャのスパルタでも言えることで、何かに忠誠を誓った兵士というものは屈強になるのが世の常。兵士の扱いも良くなり、兵士が忠誠心で生きるように国が仕向けた。
 死を恐れない兵士が出来上がれば、自殺攻撃という選択肢が生まれてくるわけで。しかし、倫理的にそれを禁じる国は多い。
 キリスト教でいえば自殺をすると地獄に落ちるなど、自殺に対してつよい忌避感を持つ文化圏が多い。それは、どの文化圏でも自殺を禁じているだろう。しかし、ショウペンハウエルという哲学者は自由意志で選んだ自殺は良いものと言った。
 何かのために自殺を選ぶという犠牲心を賛美する者がいるのは事実。だが、自殺攻撃が良いものかどうかはわからないまま。死んでもなお戦うという精神が産んだ、まったく新しい戦法が自殺攻撃とも言えるのかもしれない。人間の発達した文化や思想が自殺攻撃を生み出したのだ。
 もちろん、自殺攻撃に対して否定的な文化もある。だが、自殺攻撃を兵士に受け入れさせる文化を作ることが出来たのが、今の世の中なのかもしれない。それは以外にも、退廃的に見えるが人間の発展なのだろう。

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